私が体験した無痛分娩のお話です。
妊娠したら普通に妊婦生活を送り普通に産まれるものだと思っていました。
こんなにも大変なことなのだと経験するまで知りませんでした。
出産は命がけ 本当にその通りだと身を持って知りました。
大変だった妊婦生活のお話もよかったら読んでみてくださいね。
目次
無痛分娩について
麻酔薬を使い痛みを取る分娩方法。
無痛分娩で使用する麻酔は大きく分けると(区域麻酔)部分麻酔と全身麻酔の2つがあるが硬膜外麻酔という区域麻酔が主流で陣痛の痛みだけを取るので意識ははっきりしたまま出産することができる。
万が一、途中で帝王切開になった場合でもそのまま対応できるので緊急時にも安心な分娩方法
私は硬膜外麻酔を使った無痛分娩でした。
- 費用がかかる
- ある程度子宮口が開くまで普通のお産同様痛みに耐えなければならない(これは病院による)
- 計画分娩になるので我が子の誕生日を決めてしまう
- 副作用に吐き気や頭痛など
何があっても文句言わないでね、といった旨の同意書にサインもして、納得した上での無痛分娩でした。
リスクやコストも納得してました。
自分は何のトラブルもなく生めるだろう、と思い込んでいました。
無痛分娩ー前日
無痛分娩をする前日に入院することが決まっていました。
陣痛を待つのではなく計画分娩です。病院によっては陣痛が来てから無痛分娩をするところもあるので誕生日を決めたくなければ病院に確認してください。
ラミセル、ラミナリアを入れる時は痛い?
朝から入院グッズを持って病院へ行きラミセル(ラミナリアと同じようなものみたいです)などの処置を終え病室に案内されました。
痛みはあったと思いますがこれを書いてる今はもう思い出せません…!
少ない本数だったので大して痛くなかったのかもしれません。
この時無事にラミセルは入ったのですが数時間後に悶絶することになるとは知る由もありませんでした…。
海藻を乾燥させたようなもので水分を含むと膨張する。それを利用してゆっくりと子宮口を広げる。
ラミセルが体内で行方不明
お昼ご飯は夫と話しながら食べる余裕がありました。
夫はこの日は仕事だったのでしばらくすると帰ってしまいました。心細い…。
そして夕方になりラミセルを抜く時がやってきました。
私は恐怖で足がガクガク震えていました。診察台に乗り足を開きます。
カーテンで隠され何をされているか見えないのも恐怖なんです。見えても恐いと思いますが。
とにかく、、痛い!
しばらく耐えますがなかなか終わりません。
腕が入ってるんじゃないか!?というくらいに痛いのです。
カーテンで見えませんけど。
医者が一言
私はこの時もうずっと痛い痛い痛いと言いまくっていました。
ラミセルをとっくに全部抜いて他の処置をしていると思っていましたがなんと、ラミセルが一本なくなったというのです。こんなことある…?
もう痛みと恐怖で半泣きです。
あたりまえや
早く探し出してくれ…!
なんと
なんと見つかりませんでした…
そんなことある…?
無駄な痛みを与えないでくれませんか…?
散々ぐりぐり、いや、ぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりした挙句、ない だと…?
もう泣きたい気分でした。もう帰りたいとさえ思いました。
ラミセルどこいったの…?体内のどこにいるの…?
トイレ行くたびに落ちてないかよく確認してくださいと言われ様子を見ることになりました。
ラミセル、ラミナリアがなくなることってあるの…?
ラミセル、ラミナリアを抜く時は痛い?痛くない?
私は体内で行方不明のラミセルを散々探されたので激痛でした。
体内でなくなるなんてなかなかないと思うのであまり参考にならずすみません…。
これを読んでいる妊婦さんがラミセルもしくはラミナリアを挿入されて取り出す時に体内で無くならないことを願います。
私が体験したよりきっと痛くないと思いますので安心してください…!
メトロイリンテル(バルーン)は痛い?痛くない?
バルーンの処置もしたんですけど抜く時がなんだか気持ち悪かったなぁという記憶しかありませんね…。
ラミセルの記憶が強烈過ぎました…。
風船をしぼんだ状態で子宮口に挿入し、注射器で滅菌水を注入して膨らませてと子宮口を押し広げる。陣痛を誘発する効果もある。
【バルーン】とも呼ばれる。
陣痛
NSTを終え点滴をし始めて夕方くらいからお腹に痛みが出てきました。
シャワーの時間が決められていたので痛みに耐えながらシャワーを浴びました。
夕飯も痛みに耐えながらなんとか完食しました。
不定期に痛みが襲ってきますがまだ耐えられない痛みではありませんでした。
就寝時間になりベッドに横になるものの痛みで眠れません。
看護師さんが見回りに来ました。
痛みで眠れないと言うと呼吸法を教えてくれました。教わった通りゆっくりと呼吸しました。
夜中になり痛みが強くなってきました。
相変わらず痛みで眠れそうにありません。
横になりながらベッドの柵に腰を押し当てると少し和らぐ気がして痛みが来るとずっと柵に押し当てていました。
さらに強い痛みになり、私は起き上がってちょうどいいところにベッドの柵をさらに強く押し当て痛みに耐えるようになりました。
痛みのない数分の間でも眠る方がいいよ、と看護師さんに言われましたがもう眠るどころではありませんでした。
陣痛の間隔をアプリで測ったりもしましたがここまでくるとそのケータイを触ってる時間がもったいないので体を休めるために使いました。
ベッドに座る体制で柵に腰を押し当てるのがこの時は1番楽でした。
心細いので夫に来てもらうことにしました。もう朝が近づいていました。
朝も昼も痛みでご飯は食べられませんでした。夫が代わりに食べてくれました。起き上がれなかったので夫が何を食べたのか全く知りません…。
破水(人口破膜)ー出産当日
診察の度に憂鬱になりました。とにかく内診も痛いんです。診察室まで動くのも大変でした。
診察中に破水させたと言われそのまま部屋に戻りました。
しばらくして生暖かい感覚が…ドバドバと羊水が出ていました。そうか、破水させたからだ、と納得しました。自分の意思とは関係なくものすごい量の羊水でした。あんなにバシャバシャになるんですね。
こんな時、着替えを手伝ってくれる優しい夫でよかったです。痛みで何もできない子どものようになっていましたから…。この人となら老後も安心。こういう時よくわかりますよね。
卵膜を破り人為的に破水を起こさせる処置。破水することで頭が下降しお産が進行することがある。
子宮口が開いてきて陣痛も来ているのにお産の進展があまりないときに行われる。
やっとLDRへ
痛みで何度も麻酔してほしいとお願いしましたが子宮口がまだ5cmだからもう少し我慢して、といったやり取りが何度か続き私のメンタルは崩壊しそうでした。
LDRが空いたら次呼ぶからねと言われひたすら待っていました。とても長い時間に感じました。
そしてやっとLDRが空き、立会いを希望していたので夫と2人で移動しました。
陣痛(Labor)分娩(Delivery)産後の回復(Recovery)の略。陣痛から回復まで同じ部屋で過ごすことができる。
やっと麻酔を打ってもらえる…!痛みに耐えつつトイレを済まし、いざ!
と思っていましたがまだ打ってもらえず陣痛促進剤を打たれました。
今までよりも強い陣痛に恐怖と痛みでパニックになりました。
子宮口がある程度開いてから麻酔をしないとお産の進みが遅くなる、なんなら帝王切開するけど?ということ半笑いで医師に言われ、痛みと恐怖で弱り切っていたけれど怒りの感情が沸いたのを今でも覚えています…。
あの時は何言ってんだあああどっちでもいいわああああなんて心の中で叫びましたが夫がそう言ってくれたお陰で頑張れた気がします。
念願の無痛分娩
呼吸して!吸って、吐いて、と呼吸を促し、強い痛みが来るとテニスボールを腰に押し当ててくれる夫。
息を吐くときにふううぅぅゔゔううう!!!と声がでました。
こわい!もう無理!痛い!
私はナースコールを押していました。
助産師さんが来て内診、7センチくらいかな、と。
そしてやっと医師がやってきました。
ああ、やっとこの痛みから解放される、そう思いました。
麻酔の準備が始まり、夫は一旦LDRから出されました。
- 背中に局所麻酔を打つ
- 硬膜外麻酔用の針を刺す
- カテーテル(管)を挿入し針を抜く
- 麻酔薬を注入
チクっとするだけで痛みは殆どない処置でした。
麻酔薬が背中から入り感覚がなくなるのがわかりました。あんなに痛かった陣痛がなくなりました。
麻酔が済んだら医師はLDRから出て行きました。
助産師さんと2人きりになりました。
だんだん呼吸が苦しくなりました。うまく息ができません。私の血圧が低下したようです。もともと血圧は低めだったと思います。
そして、赤ちゃんの心拍が弱りました。
しっかり息吸って、と言われ深くしっかり息をしているつもりがうまくできません。
息苦しい。。。
ピーーーーー
赤ちゃんの心拍が止まりました。
私も意識が朦朧としてきました。
あれ?私の赤ちゃんどうなるの…?
慌てて医師が入ってきて慌ただしくなるLDR。
私は体に力が入らず首から下の感覚もなくなり息も苦しくてもうだめかもしれない、と思いました。
私のせいで赤ちゃんどうなるの?
数ヶ月後にはマイホームが完成するのに夫を1人にさせてしまうなんて
ごめんなさい
私もまだ生きていたい…
ポンッ
という音が響き赤ちゃんの姿が見えました。
吸引分娩を行なったようです。会陰も切開したようでした。
でも、産声が聞こえません。
お願い息をして。
神さまお願いします。
赤ちゃんを助けてください。
朦朧とする意識の中ずっと祈り続けました。
産声
しばらくして、おぎゃあおぎゃあと産声が聞こえてきました。
ああよかった。赤ちゃんの声が聞けた。
よかった。本当に良かった。
でも私はもうだめかもしれない、、息が苦しい…。
何人もの看護師が私の体を動かしていたと思います。
とても慌ただしかったです。
点滴をして麻酔薬を排出させるというようなことを言っていたように思いますが意識が朦朧としていたのであまりよく覚えていません。
息も苦しく、吐き気がしてきました。
おえっとえずくとすぐに洗面器を口元に当ててくれました。
プリンペランを点滴してもらい、吐き気を抑えます。
息がしづらいのに吐き気もして嘔吐物で喉が詰まりそうになりました。
プリンペランという薬名は妊娠中のつわりがきつい時に処方されたことがあったので覚えていました。
助産師さんと2人きりになり、少し声を出せる余裕が出てきましたが長くは言葉が出てきません。首から下もまだ動かないのです。息が苦しいままでした。
ここでようやく夫と会えたと記憶しています。
それまで夫はずっとLDRの外に出されたままでした。
不安な思いをさせてしまって本当に申し訳なかったと思います。怖かったと思います。
赤ちゃんを抱っこ
両手が少し動くようになり赤ちゃんを連れてきてくれました。
やっと会えた赤ちゃん。麻酔でうまく笑えないけど対面の瞬間を録画されていたので頑張って笑顔を作りました。
助産師さんや夫に手伝ってもらいながら抱っこ。初めての抱っこ。
不思議な気持ちになりました。かわいい。
またすぐ赤ちゃんとはバイバイ。
しばらくLDRに夫といました。私は丸一日以上起きていたので疲れで会話の間に寝てしまうほどでした。
夫のケータイが鳴りました。私の母からでした。私は陣痛で両親に連絡する余裕もなく、この日に産むと言っていたのに夜になっても何の連絡もないから両親はめちゃくちゃ心配していたのでした…。この頃、無痛分娩での悲しい事故のニュースがよく報じられていたので気が気じゃなかっただろうなと思います…。
数時間経ちようやく少し歩けるまでに麻酔薬が抜けてきましたが貧血にもなっていて危険なので車椅子で自分の病室まで連れて行ってもらいました。
知らない間に導尿されていました。これを抜くときほんの少しだけ痛かったです。
ラミセルの行方
体内でなくなったラミセルですが実はLDRに移動して助産師さんが子宮口を見ているときに見つかりました!
あぁ、良かった…。
最後に
いかがでしたか?
出産は本当に命がけだと痛感した出来事でした。
ラミセルもバルーンも破水も陣痛促進剤も経験するとは…。
親に感謝し、我が子のためにもしっかり生きないといけないと思いました。
そして、トラブルはこれだけに留まらず…しばらく無痛分娩による副作用に苦しみ、娘に無痛分娩と吸引分娩による障害があったらどうしよう、、など悩むことになります。
個人的に思ったのは麻酔科医がいる大きな病院の方が安全なんだろうな、と。
私が出産したのは医者1人で麻酔して、赤ちゃん取り上げまで行っているような決して大きくはない産院だったので。
50人に1人が死産だそうです。意外と多いんですね…。
死産にならなくて、誕生死にならなくて、ほんとうによかったです。
お読みいただきありがとうございました。